ふと、さっきくるりが耳に入った。昔、人の影響でくるり好きになって当時は阿保みたいにくるりばっかり聴いててライブも行ったりしてたんだけど、めっきりすっかり聴かなくなってた。音楽とか匂い、要するに五感と記憶は密接に関係していて、その当時の記憶がよみがえるとか言うけど、くるりを久々に色々聴いてみたらなんとなくぼんやりその時のことを思い出した。でもその思い出す感覚って段々薄れていくんですよ。匂いの入った箱をずっと空けっぱなしにしていると、どんどん匂いが抜けていって仕舞いには何も匂わなくなるみたいに。思い出すことも、こう具体的な出来事なんかじゃなくて、其の時の感覚ね。感覚感が(へんな言葉)においに然り、音楽に然り、それを通じて呼び覚まされる感覚がどんどん薄れていく、そして仕舞いには何も感じなくなるのも知れない。その箱の中が今のにおいになってしまうから。まさしくそれはパンドラの箱になるわけです。くるりだけじゃなくて、他にもそういった記憶の箱になる音楽とかあったするんだけど、あまり聴けない。というのも、その感覚、そのにおいが蓋をあけて逃げてしまうから。それが惜しいから。別にその過去を失いたくないとか、そんなんじゃなくて、なんとなくその感覚を失ってしまうのが寂しいから。いや、要するに失いたくないかも知れない。でもたまにはパンドラの箱も空けないと中の匂いが賞味期限過ぎてしまって閉じ込めた感覚自体忘却してしまうものなのか。だったらたまにはかすかにちらっと空けてみて、ちょっとづつ匂ってみるのもありかも知れない。別件
去年、たまたまフェスに行って、くるりの演奏もあって友人が「くるりの岸田って気持ち悪い」って言ったのを境に、どうしても岸田が気持ち悪く見えてしゃーない。にやっとした笑顔が気持ち悪い。その言葉の呪縛から未だに逃れられない。
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